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La Esfinge

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 "La Esfinge"はスペイン語でスフィンクス。 深い谷をガタガタ走る車の窓から首を突き出し、両岸にずらりと連なる巨大な岩壁を見上げる。わざわざ"La Esfinge"まで行く必要はないんじゃないかと思うくらい立派な壁たち。 それでも藪の中の踏み跡を息を切らして歩くこと二時間半、丘陵の向こうにふと現れた”スフィンクス”はひときわ輝いていた。 台地の上に独立してにょきっと生えた黄金色の岩山。ひょっとするとフィッツロイに感銘を受けたペルーアンデスの巨人が、花崗岩をコネコネして似せて作ったのかもしれない。 パタゴニアのジャーナルに載っていた、"La Esfinge"の1985オリジナルルートを登るストーリーがなぜか印象に残っていた。 6000mの冬壁を目指してはるばるペルーにやって来たけど、密かに登りたいと思いを募らせていたこの岩峰。 キタラフの南スパーを登り切り、もうしばらくはシュガースノーと戯れたくない気分になっていた僕らにはちょうど良い遊び場だ。 1985オリジナルルートの前半9ピッチは、威圧的な見た目のクラックに幸せなホールドたちが散りばめられたWoo-hooパート。 誰も触ったことのないこの岩を自分が初めて眺めたとしたら、たぶんここを登るだろうとなぞるライン。 "Plaza de las Flores"という花壇のような大テラスを境に、後半はどこでも登れそうで意外と登れないアルパインパート。ロープはぐいぐい伸ばせるが、ラインを間違えると支点が作れない。 日が暮れる前に降りたいので出だしからスピードのギアを一つ上げていく。 ピッチごとに身体の動きがスムーズになっていくのが分かる。 足に乗り込み、手を伸ばし、カムを決める。流れるように攀じ登り、ハイになってゆく。 そして最後のピッチが文字通りのクライマックス。 際どいプロテクションと5000mの高度感で後頭部が痺れてくる。 凹角に庇のように被さったブロックに乗り上がると、急に風が吹き抜け、空がぐっと大きくなった。頂上だ。 余韻に浸って心地よい風を受け、ふと横を向くと大きな鳥がこっちを見ていた。 こいつも俺と同じようにこの風を味わっているのだろうか。 しばらくしてその猛禽類はおもむろに崖を飛び降りたかと思うと氷河の上をスイ―っと滑空し...

ペルーアンデス④ 〜巡礼〜

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  Quitarajuを登って感じた"旅の感触"とはなんだろう。  遠征そのものはもちろん旅と言える。そこには普段と全く違う文化があり、違う言語があり、違う文化と言語を持つ人々がいる。長い時間をかけてペルーまで移動し、しばらく滞在してまた元の生活へ戻っていく。その期間に触れた異文化、出会った人々のおかげで、良くも悪くも旅の前と後で自分が少し変わったような感覚を持つ。  このクライミングでも、アタック前と後で自分の中にちょっとした変化があったような気がする。それは奇怪で大小様々なマッシュルームのせいか、見慣れないアンデスの景色のせいか、あるいは高所でのビバークのせいか。5日間と短いながら、異文化と強く交わって駆け抜けた。異界の中を潜り抜けた感じと言ってもいいかもしれない。そう言うと村上春樹の小説を思い出す。まさに彼の作品を読み終えたときの感覚に似てるかもしれない。  そして羊男のセリフを思い出す。 「踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ」  一日一日は冬壁登攀だが、振り返ってみると僕らが行った行為はクライミングというよりも巡礼に近いような。  日本ではまだ黒部以外で感じたことのなかったこの巡礼感覚は、もしかするとアルパインクライミングの真髄なのか、否か。 巡礼といえば  下山の翌々日、 ABCの残置を自力で回収出来なかったと前に書いたが、そのことで"ルートを登り切った"と言えなくなってしまったように感じている。遍路で最後の一箇所を諦めたような、閉じるべき輪がきちんと閉じなかったような気持ちがある。 あの日は本当に身体が言うことを聞かなかった。2人がピークを踏んで戻ってくるのを、山頂直下で待っていたような気分だ。そして実際のところ、本質的にはそういうことなの かもしれない。 そう思うと、悔しさがじんわりと込み上げてくる。

ペルーアンデス③ 〜Quitaraju "Dream House"〜

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インカの夜明け Day4  今日からは南東稜を辿る。風向きが関係しているのか、ここからはキノコが一段とデカくなりまたまた内容が一変するのが面白い。時にキノコの傘をくぐって裏に回り、時に傘に這い上がってその上を歩き、、。 そしてそいつは現れた。右には巻けず正面も登れそうにないので、雄大くんが左の南壁側を巻いていく。「ここが登れそう」とコールがかかりフォローしていくと、 15m 以上のスッキリとした雪氷の垂壁が現れた。「え、ここ登るの ... ?」と思わず口に出ていた。スクリューの決まる氷ならいざ知らず、見たところスナイス ( スノー + アイス ) で、特に抜け口はほぼ雪に見える。マントルでシュガースノーなんて最悪のシナリオだ。それでも果敢に登り出す雄大くん。前半はスムーズだが、あと 2,3m というところで動きが止まる。やはり雪の割合が多くなってスクリューが甘そうだ。エイドに切り替えて、、とスクリューに加重した瞬間、雄大くんが叫び声を上げて宙を舞って降ってきた。一瞬これはヤバいフォールだと思ったが、 10m 近く落ちた雄大くんは少し足首を痛めながらも無事だった。  スクリューが数本上に残っているし誰かが登らなきゃだが、うーんこれはしかし、、と思っていると、「俺がいくよ」と坪ちゃんが一言。おいおい、イケメンじゃないか ... !「あ、でもその前にうんこしていい?」よく見れば緊張の面持ちをしていた。それはそうだ、あの特大フォールを見たら誰でもビビる。それでも坪ちゃんは有言実行で登り始めた。最後のスクリューから今度は右抜けをトライする。垂壁にスノーバーを打ち込むという奇妙な光景が展開され、ジリジリとエイドを交えて登っていき、やがてついに緊張のマントルを返した。やりやがった。スノーバー 2 本でアンカーを作ってくれたので、我々はユマール。傾斜が強く、タイブロック2つでのユマールは非常に疲れる。なんとか 3 人とも巨大キノコに乗り上げ、快適な寝床を手に入れた。とはいえ喉が痛くて快眠など不可能なのだが。  いつの間にか坪ちゃんにものど風邪を移してしまったようだ。2人ともうまく声が出せず、ガラガラボーイズを名乗りたい。 え、ここ登るの...? Day5  徐々に明るみ出した景色の中で、山頂と思しきキノコが目に映る。見たところ謎を抱えたビッグ・マッシュルームは残る 2 体。はてさて...

ペルーアンデス② 〜Quitaraju "Dream House"〜

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  2023 年の WCM( ウィンタークライマーズミーティング ) に参加した際、成田・竹中ペアによるタウイラフ登攀の話に強く刺激を受けた。巨大な山の中で同世代が経験したギリギリの駆け引きや葛藤に憧れた。さらには 6000m 級の巨大な山々に街から容易にアクセス可能で、面倒な手続きもなく予算も抑えられるという高山初心者にうってつけの環境も魅力的だ。  当初は坪ちゃん ( 大坪 ) と僕の高所童貞 2 人の予定だっただけに、 6000m の経験豊かで昨年もペルーで登っている雄大くん ( 鈴木 ) の参戦が決まり大変心強かった。  遠征前に十全に登り合わせをしたいところだったが、中々 3 人の日程が合わず、しまいには僕が膝の靭帯を痛めてしまった。結局 3 人揃ったのは出国直前に行った富士山での順応のみという少し不安の残る形に。  ここコルディエラブランカは、ワラスの街から近く昔からよく知られたエリアであるだけに、魅力的な未踏のラインを見つけるのは容易ではない。登られていない壁は岩が脆いか上部セラックが危険すぎるといった場合が多かったが、 3 人でこの山域の写真を漁っているとキタラフ南壁の画像が目に留まった。南東稜から南に分かれて伸びる急峻な尾根が、画面中央に映っている。下部は岩の要素、上部は雪の要素が強く、客観的リスクも少なそう。どうやらこのスパーは未踏らしく、見た目もスケールも申し分ない。まだいるじゃない、良さげな子が。  現地で初めて見上げたその壁の第一印象は、「イカしてる」。壮大なスケールで展開される岩と雪の織りなすモノクロの造形美を一目見て、これは全身全霊で立ち向かう価値のあるラインだと直感した。むしろなんで登られていないのか不思議でならない。    アタックまでは順調だった、と言いたいがあくまで僕個人としては波瀾万丈な日々となった。万全を期したはずの高所順応では、 5000m にも満たない地点で高山病の症状が強く現れ、激しい頭痛と下痢に一時は今遠征を辞退すべきかと本気で考えた ( ← 前記事参照 ) 。それでも 2 人のおかげでなんとか無事にキタラフ北壁ルートを登って順応を終えると、今度は季節を間違えたように降り続く雨に何日も振り回された。  街で一週間ほど悶々とした日々を過ごし、いい加減ペルー料理にも飽きてきた僕らは BC の湖へと向かったが、壁も見えず連...

ペルーアンデス① 〜思考はいかにして身体に支配されるか〜

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日本→香港→ロス→リマ→ワラス  香港-ロス間で「哀れなるものたち」を観た。とてもあの狭苦しい機内で観るものではなかった。  ワラス行きのバスが翌朝発のため、リマ空港で寝る。空港内は次から次へと清掃していて案外とキレイだった。床を拭いた後にモップをメトロノームの要領で左右に振って濡れた床を乾かしていた。みな鏡で写したように正しいフォームでモップを振るので、マニュアルに書かれているのか、はたまた偉大な先輩からの口伝なのか。ワラスの街でも見かけたので、もしかすると小学校で習うのかもしれない。  空港から一歩外へ出ると、そこは別世界。鳴り響く多種多様なクラクションと見渡す限りのカオスが広がっていた。  さて、日本を発っておよそ1週間後、コルティエラ・ブランカ山群のアルパマヨベースキャンプ(4300m)にいた。ロバ3頭を雇い、いたるところで牛が草を食むのどかな高原を進むこと2日間。  以下は、富士山より高いところに登ったことがない男が高所ってのはどんなもんじゃいと意気込んでやってきたペルーアンデスの手記。 どんなもんじゃい! ~~~~~ 6/3 今日はモレーンキャンプまで 500m 以上ハイクアップ。皆んなでパッキングするが、下痢で全然集中できない。気づくとザックが信じられないくらい重くなっていた。この体調でこれを担いで登るなんてできるのか ... 。足場も安定しない地獄のような登りで、三歩歩けば息をついて立ち止まる始末。つぼちゃんはもはや見えない高さまで登っていて、自分が情けなくなる。 100m ほど上に雄大くんが見えて、助けの手を差し伸べてくれるんじゃないかと期待するも虚しい。数 m ごとに荷物を下ろしてしばらく休むが、担ぎ直すだけで休憩時にチャージしたほぼ全てのエネルギーを消費する。暑さのせいか何も食べたくないが、水はすごい速度で減っていく。残り 100m ほどで 2 人が待っていて、ロープやジェットボイルを持ってくれた。ありがたい、、ありがたいけど、もっと早く持ってくれていれば。。。もう身体は終わっていた。 テントでの記憶はあまりない。 6/4 未明、水を作っていると頭痛が襲ってきた。今までの脈拍に合わせた襲撃とは違う、万力でギューっと締め上げるような救いのない痛み。  昨日、吐き気を催すほどきついハイクアップで ( いつロープを投げ捨てようかずっと考えていた ) ...

天国への階段

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 深呼吸。登り出す。美しい、伝説的なギターリフ。小さなテラスに上がり振り仰ぐ。徐々に細かくなるホールド。足が震え始める。ロバート・プラントが歌う。"Sometimes all of our thoughts are misgiven"。不安定なシェイク。時間稼ぎ。満を持してドラムが叩かれる。まっすぐ上へ。風が体を剥がしにかかる。何度目かの"makes me wonder"。今度はまっすぐ右へ踏み出す。激しいギターソロ。錆びたRCCボルトにクリップ。岩茸を手で払い、マントル。  そして彼女は天国への階段を手に入れる。   マラ岩の真ん中を縦横無尽に走るこのルート「Stairway to Heaven」は小川山でも指折りの名ルートでありながら、あまり登られていないようだ。一つには、ホリデーかスキゾフレニーの2ピッチ目にあたるロケーション。そして一つには錆びたボルトが原因かもしれない。   2022年5月、マラ岩の頂上で、エクセレントパワーを登った時とよく似た充実感に再会できた約一年後、ロクスノ#101でリボルトの記事を目にした。心許ないボルトがピリッと刺激的な味を出していたことは脇に置いておくとして、リボルトは良いことだと思った。ただ、その記事の文章には首を捻りたくなる点がいくつかあった。   何はともあれ、自分の目で確かめてみよう。スキゾフレニーからピッチを切らずに繋げて、つまり地面から頂上まで一息に登れたら気持ちいいだろうという妄想を実現していなかったので、ちょうどいい。    気持ちいい秋晴れの日、Stairway~出だしの棚から見上げて少々面食らった。  (おお、ボルト遠いなぁ)  まあまあ、と登り始めるが、いいスタンスから一、二歩乗り出さなければクリップできない。  (むむ、これはこれでパンチが効いてるかも?)  しかし続くボルトもヌンチャクを掛ける動作が際どく、さらにはランナウト状態の核心ムーブ最中でのクリップを強いられた。  (んーさすがにこれは変だぞ...)  結局トラバースを終えたあたりでクリップ時にスリップして妄想もろとも15m近く吹っ飛んでしまった(これはただ自分が下手くそだっただけだが)。  気を取り直して上まで抜ける。最後もなか...

PATAGONIA内面登攀

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 地球をぐるりと半周してここチャルテンの町にたどり着いてからおよそひと月が経った。フィッツロイ、デラエス、サン=テグジュペリとすでに3つのピークに立ち、ここまで恐ろしいほど順調に来ていたが、セロ・トーレをすっぽりと包み込んだかと思うと凄まじい勢いでフィッツロイ山群にその手を伸ばす嵐雲から転げるようにして町に逃げ帰ってから、毎日のように台風並みの雨風がキャンプ場の屋根を叩きつけていた。風に揉まれながら町の反対側まで歩き、お気に入りのカフェになんとか腰を落ち着けると、時折り雲の切れ間から冬化粧をしたフィッツロイが顔を覗かせるのが見えた。この地をよく知るクライマーに言わせれば、これまでが例外的にドライだっただけでありこれがパタゴニアの本来の姿だそうだ。     日本でぼんやりと、これが出来たら満足だろうと考えていたことはこの一ヶ月で嘘みたいに達成してしまっていた。それでも人間とは欲張りなもので、一つできることが分かると、三つも四つも手に入れたくなるらしい。夜通しの懸垂を終え、トレイル脇で何度もうとうと眠り込みつつやっと下山したかと思えば、次はこれを登ろう、あれを登ろうとガイドブックにいくつも付箋を貼ってニヤニヤするのだ。  ポインセノットはフィッツロイの隣で二番手の立場に甘んじている。にも関わらずそのすっきりとした円柱形の美しさと威厳は、隠し切れない色気が染み出すように不気味な光を放って僕らを誘い続けていた。2日半ほどのウィンドウが訪れたとき、ビバーク装備を担いでじっくりとこの岩塔と向き合うことに決めた。山は相変わらず白いが、陽の当たりやすい北面(ここは南半球だ)のぶっ立ったラインであれば可能性はある。ここには数週間前にカナダ人の友人が新ルートを開いており、心が熱くなる話をたくさん聞かせてもらっていた。僕らはそのすぐ隣、写真からも顕著なクラックが見て取れるラインを選んだ。エイドピッチを含むルートだが、C1やC2がほとんどで上手くいけばフリー化も狙えるかもしれない。    初日は街から見てフィッツロイ群の裏側、Niponinoと呼ばれるキャンプ地まで、氷河を吹き抜ける爆風を額で切りながらハイクアップ。翌未明、月夜に浮かぶスカイラインに向かって登り始める。高度差1,000mほどの岩稜帯を主に同時登攀で登る”アプローチ”だが、ところどころ氷が張っていてペースは上がらず...