PATAGONIA内面登攀

 地球をぐるりと半周してここチャルテンの町にたどり着いてからおよそひと月が経った。フィッツロイ、デラエス、サン=テグジュペリとすでに3つのピークに立ち、ここまで恐ろしいほど順調に来ていたが、セロ・トーレをすっぽりと包み込んだかと思うと凄まじい勢いでフィッツロイ山群にその手を伸ばす嵐雲から転げるようにして町に逃げ帰ってから、毎日のように台風並みの雨風がキャンプ場の屋根を叩きつけていた。風に揉まれながら町の反対側まで歩き、お気に入りのカフェになんとか腰を落ち着けると、時折り雲の切れ間から冬化粧をしたフィッツロイが顔を覗かせるのが見えた。この地をよく知るクライマーに言わせれば、これまでが例外的にドライだっただけでありこれがパタゴニアの本来の姿だそうだ。
  
 日本でぼんやりと、これが出来たら満足だろうと考えていたことはこの一ヶ月で嘘みたいに達成してしまっていた。それでも人間とは欲張りなもので、一つできることが分かると、三つも四つも手に入れたくなるらしい。夜通しの懸垂を終え、トレイル脇で何度もうとうと眠り込みつつやっと下山したかと思えば、次はこれを登ろう、あれを登ろうとガイドブックにいくつも付箋を貼ってニヤニヤするのだ。

 ポインセノットはフィッツロイの隣で二番手の立場に甘んじている。にも関わらずそのすっきりとした円柱形の美しさと威厳は、隠し切れない色気が染み出すように不気味な光を放って僕らを誘い続けていた。2日半ほどのウィンドウが訪れたとき、ビバーク装備を担いでじっくりとこの岩塔と向き合うことに決めた。山は相変わらず白いが、陽の当たりやすい北面(ここは南半球だ)のぶっ立ったラインであれば可能性はある。ここには数週間前にカナダ人の友人が新ルートを開いており、心が熱くなる話をたくさん聞かせてもらっていた。僕らはそのすぐ隣、写真からも顕著なクラックが見て取れるラインを選んだ。エイドピッチを含むルートだが、C1やC2がほとんどで上手くいけばフリー化も狙えるかもしれない。  
 初日は街から見てフィッツロイ群の裏側、Niponinoと呼ばれるキャンプ地まで、氷河を吹き抜ける爆風を額で切りながらハイクアップ。翌未明、月夜に浮かぶスカイラインに向かって登り始める。高度差1,000mほどの岩稜帯を主に同時登攀で登る”アプローチ”だが、ところどころ氷が張っていてペースは上がらず、上部セラックが崩壊するとちり紙みたいに飛ばされるので緊張もひとしおだった。昼過ぎにメインの壁の基部にたどり着き、4ピッチ分登ってテラスでビバーク。パタゴニアの誰もいない岩峰にツェルトが一張り。星も見えない地球の裏側で、山はこんな小さな虫など意に介さぬといった顔で夜風にあたっている。。。そんなことを考えるともなく考えて気付いたら眠っていた。

 ポインセノットでのクライミングは控えめに言っても素晴らしかった。垂直の洞窟を探検するような、山の懐に潜りこむクライミング。長さや数字には表れない、全身余すところなく滲み出る疲労感。とりわけ最後にリードしたピッチでは、体の芯から見知らぬ力を振り絞った。弾切れのランナウトで激しく息切れしながら「死んでも落ちねぇぞ!」と漫画みたいな陳腐なセリフを吐き(本当に口に出してそう言った)、マントリングで頂上稜線に出て振り返ると、夕焼けに染まるフィッツロイがとっておきの労いをくれた。



 山頂手前でもう一晩過ごしたおかげで、広大な東面の懸垂下降は暗闇の虚空に悩まされることも強風に弄ばれることもなく平和に氷河へとつながった。それでも久々に地上を踏みしめる脚には奇妙な重力がのしかかり、昼下がりのゆるんだ氷河は容赦なく歩みを飲み込んでくる。クライミングシューズに長いこと押し込まれ続けてむくんだ足をぐしょ濡れにしながら一歩一歩降りていく。やがてフィッツロイ登攀時にベースキャンプを張った湖が下のほうに見えてきた。この旅の一番初めに、その畔でパタゴニアの岩峰群を眺めながら過ごしたLos Tres湖だ。すでに日が傾き、少しづつ薄暗さを増していく氷河と岩の間で、湖の水面に風が作り出す陰影が流れるように踊っていた。それは風になびく草原そのもので、思わず目を奪われて足を止めた。岩と氷だけの垂直の世界をくぐり抜け、初めて見た緑だった。生命の躍動がそこにあった。それを眺めていると、数日前に町を発った時から自分の体の組成がいくらか組み替わっていることに気が付いた。一つのクライミングを通過して、ごく些細ではあるが確実に何かが変わってしまったような気がした。あるいはただ疲れていただけかもしれない。でもその時の光景は網膜に強く焼き付いていて、ことあるごとに思い出す。思えば似たような感覚は過去にも何度か体験していたような気もする。快楽でも刺激でもカタルシスでもなく、喜びとも哀愁とも違う。それを言い表すだけの言葉は持ち合わせていないし、その感覚も徐々に薄らいできてしまってる。でもそれはこの時たしかに、手に取って触れるだけの質感を持って目の前にあった。
 あれは何だったんだろう?
 山を続けていれば、また味わうことができるかもしれない。じっくりと咀嚼して呑み込むことができるかもしれない。

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