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天国への階段

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 深呼吸。登り出す。美しい、伝説的なギターリフ。小さなテラスに上がり振り仰ぐ。徐々に細かくなるホールド。足が震え始める。ロバート・プラントが歌う。"Sometimes all of our thoughts are misgiven"。不安定なシェイク。時間稼ぎ。満を持してドラムが叩かれる。まっすぐ上へ。風が体を剥がしにかかる。何度目かの"makes me wonder"。今度はまっすぐ右へ踏み出す。激しいギターソロ。錆びたRCCボルトにクリップ。岩茸を手で払い、マントル。  そして彼女は天国への階段を手に入れる。   マラ岩の真ん中を縦横無尽に走るこのルート「Stairway to Heaven」は小川山でも指折りの名ルートでありながら、あまり登られていないようだ。一つには、ホリデーかスキゾフレニーの2ピッチ目にあたるロケーション。そして一つには錆びたボルトが原因かもしれない。   2022年5月、マラ岩の頂上で、エクセレントパワーを登った時とよく似た充実感に再会できた約一年後、ロクスノ#101でリボルトの記事を目にした。心許ないボルトがピリッと刺激的な味を出していたことは脇に置いておくとして、リボルトは良いことだと思った。ただ、その記事の文章には首を捻りたくなる点がいくつかあった。   何はともあれ、自分の目で確かめてみよう。スキゾフレニーからピッチを切らずに繋げて、つまり地面から頂上まで一息に登れたら気持ちいいだろうという妄想を実現していなかったので、ちょうどいい。    気持ちいい秋晴れの日、Stairway~出だしの棚から見上げて少々面食らった。  (おお、ボルト遠いなぁ)  まあまあ、と登り始めるが、いいスタンスから一、二歩乗り出さなければクリップできない。  (むむ、これはこれでパンチが効いてるかも?)  しかし続くボルトもヌンチャクを掛ける動作が際どく、さらにはランナウト状態の核心ムーブ最中でのクリップを強いられた。  (んーさすがにこれは変だぞ...)  結局トラバースを終えたあたりでクリップ時にスリップして妄想もろとも15m近く吹っ飛んでしまった(これはただ自分が下手くそだっただけだが)。  気を取り直して上まで抜ける。最後もなか...

PATAGONIA内面登攀

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 地球をぐるりと半周してここチャルテンの町にたどり着いてからおよそひと月が経った。フィッツロイ、デラエス、サン=テグジュペリとすでに3つのピークに立ち、ここまで恐ろしいほど順調に来ていたが、セロ・トーレをすっぽりと包み込んだかと思うと凄まじい勢いでフィッツロイ山群にその手を伸ばす嵐雲から転げるようにして町に逃げ帰ってから、毎日のように台風並みの雨風がキャンプ場の屋根を叩きつけていた。風に揉まれながら町の反対側まで歩き、お気に入りのカフェになんとか腰を落ち着けると、時折り雲の切れ間から冬化粧をしたフィッツロイが顔を覗かせるのが見えた。この地をよく知るクライマーに言わせれば、これまでが例外的にドライだっただけでありこれがパタゴニアの本来の姿だそうだ。     日本でぼんやりと、これが出来たら満足だろうと考えていたことはこの一ヶ月で嘘みたいに達成してしまっていた。それでも人間とは欲張りなもので、一つできることが分かると、三つも四つも手に入れたくなるらしい。夜通しの懸垂を終え、トレイル脇で何度もうとうと眠り込みつつやっと下山したかと思えば、次はこれを登ろう、あれを登ろうとガイドブックにいくつも付箋を貼ってニヤニヤするのだ。  ポインセノットはフィッツロイの隣で二番手の立場に甘んじている。にも関わらずそのすっきりとした円柱形の美しさと威厳は、隠し切れない色気が染み出すように不気味な光を放って僕らを誘い続けていた。2日半ほどのウィンドウが訪れたとき、ビバーク装備を担いでじっくりとこの岩塔と向き合うことに決めた。山は相変わらず白いが、陽の当たりやすい北面(ここは南半球だ)のぶっ立ったラインであれば可能性はある。ここには数週間前にカナダ人の友人が新ルートを開いており、心が熱くなる話をたくさん聞かせてもらっていた。僕らはそのすぐ隣、写真からも顕著なクラックが見て取れるラインを選んだ。エイドピッチを含むルートだが、C1やC2がほとんどで上手くいけばフリー化も狙えるかもしれない。    初日は街から見てフィッツロイ群の裏側、Niponinoと呼ばれるキャンプ地まで、氷河を吹き抜ける爆風を額で切りながらハイクアップ。翌未明、月夜に浮かぶスカイラインに向かって登り始める。高度差1,000mほどの岩稜帯を主に同時登攀で登る”アプローチ”だが、ところどころ氷が張っていてペースは上がらず...

開拓もやもや備忘録

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 瑞牆で開拓中のルートがある。 「瑞牆クライミングガイド」に載せてもらった「Trainspotting」というルートのすぐ左、顕著なコーナーに目を付けた。名前未定なので、とりあえず「Train左」と呼ぶ。 そもそもはこのコーナーを掃除しようと思って上に回り込んだんだけど、降りる地点を間違えたら偶然Trainspottingのクラックを見つけて開拓の順番が逆になった。 Trainspotting (photo:Suzuki Takemi) Train左のコーナーは全くクラックも見えなかったのでボルトルートになるだろうと思っていた。ボルトはあんまり打ちたくないけど、一応掃除してみてから考えようかなと思いぶら下がると、なんと所々で割れ目があるではないか! 興奮してせっせと通っては掃除を始めた。 Trainspottingと同じく壁一面にびっしり地衣類がはびこっていて、ラインが斜めになってるのでぶら下がってゴシゴシやるのがかなり大変。振られ止めのカムが効く場所も限られていて、振子状態で左右にぶらぶらしながら広範囲で磨く作戦に出てみる。 これがとにかく腰にくるんです。 Trainspottingの時に開拓ってこんな大変なのかと思い知らされたけど、今回改めて面食らってる自分がいる。 Train左 それでもぶら下がってる間は夢中になって時間を忘れる。 毎週末仕事の昼休みに職場を抜け出して(岩場至近の職場では土日3時間の昼休憩があった)、瑞牆に向かう車の中でおにぎりをほおばり、ダッシュでアプローチしてぶら下がっては泥と苔にまみれて時間ギリギリに帰ってくる。 日々少しづつキレイになっていく壁がうれしくて、雨予報だろうが睡魔が襲って来ようがやめられなかった。 そんなワクワクと同時に、いつもモヤモヤが胸にまとわりついていた。 ガバが埋もれた棚に乗ったわずかな土の上に、青々とした苔と緻密に根を張り巡らす小さな木が命を育んでいる。こんな小さな庭園を破壊したくはないが、このままでは登れない。 毎回しばらく逡巡してから、意を決してごっそりと剥がして地上に投げ捨てる。 そのたびに、ああやってしまった、このラインにはそこまでして登る価値があるのだろうか、と思う。 でもここまで苦労してぶら下がって掃除してきたんだし、今さら...とか きっとまた土に戻って生えてくるだろう、巨大な森という生命体の...

どん底の旅

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  credit: taichi kagami  長野県大町市から富山県の上市町まで真っ直ぐに歩くことを決めた旅人には、後立山、黒部別山、そして剱岳という三つの関門が立ちはだかる。これらの山が東西に伸びる一つの山脈として繋がっていればなんてことはなかったかもしれない。しかしその山々を隔てるようにして喰い込む黒部川と剱沢は、その頂に匹敵する迫力とそれ以上の不気味さをもって人間を拒絶し、比類なき山深さを誇示している。とりわけ豪雪を飲み込んだ黒部渓谷は巨人のノドの如く深々と抉れ、覗き込む者の足をすくませる。まさに北アルプスの心臓部である。  「厳冬期の黒部横断」という言葉の響きは、山好きであればなんだかソワソワしてしまうものだろう。だが冷静に考えてみると、深い雪に重い荷物、そして何日も洗わぬ身体は指の先までプンプン臭うとなれば実際に出かけるやつは変態しかいないというのも頷ける。今回黒部横断を共にした仲間である加々見さんは彫刻家というだけあってやはり変態なのだろう。もう1人などはごっくんという名前からしてもはや疑いようもない。かくいう僕はそんな彼らに唆されて冷静さを失ってしまった哀れな常識人にすぎない。 本当は僕らのリーダーである真の変態がいるのだが残念ながら参加できなくなってしまい、横断童貞の3人で挑むことになった。メニューは近年記録の見られない黒部別山の壁尾根をオードブルとして、メインディッシュの源次郎尾根から剱岳を目指すワクワクドキドキコースである。  クリスマスを目前にした12月23日、僕らは信濃大町駅の駐車場に集結した。 出発時に荷物を測ってみると、2人とも僕よりかなり重い。ごっくんに至っては5kgも重いではないか。重量が偏らないように綿密に装備を割り振ったはずだったが、これは後に彼らとの器量の差だったことが判明する。器の小さい僕は、少し持つよ、なんて言わない。 マイカーで日向山ゲートまで移動し、扇沢までの長い道路を歩く。扇沢から岩小屋沢岳の南に伸びる新越尾根の取り付きまでは単調な林道の水平ラッセルとなり、精神的にはここが今山行で1番きつかった。初日にして帰りたいと願ったが、尾根に乗り藪を漕ぐとにわかに楽しくなってくるのだから不思議だ。適当なところでテントを張り、入山祝いという謎の宴会が始まる。僕は特に出すものは無かったが、早くも合鴨肉やシュトーレンが出て...

大ヤスリ開拓記 (to be continued...)

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 通算して3日目、やっとここまで上がってきたが、残り数メートルが恐ろしく遠く思える。 全体重を支える唯一のスカイフックが軋んでる音が聞こえる。ランナウトには耐えそうもない最後のプロテクションは足元はるか下、カンテの向こう側へ消え、アブミに掛けた脚が無様にガクガクと震えてきた。寒さのせいか恐怖のせいか、もはやどっちでも同じことだ。1秒でも早くこの場所から逃げ出したい。 左を見ると初登のエイドルートに連打されたリングボルトが手の届くところにある。数十分なのか数十秒なのか分からないが悪態を吐きながら逡巡したのち、スリングでリングボルトにバックアップを取ってスカイフックでのローワーダウンを決めた。 ボルトに荷重しなければ、まぁいいんじゃないか。 頭の中にモヤがかかった感覚のまま、ゆっくりとロープを出してもらいビレイ点に戻ってきた。スカイフックは外れなかった。 吐き気のする緊張感から解放されて体の震えがおさまってくると次第に頭がクリアになり、唐突にバットで頭を殴られたような衝撃をもって自己嫌悪に襲われた。 自分がたった今やったことは、ここまで積み重ねてきた努力を水泡に帰す行為だった。目の前に巨大な鏡を突きつけられ、小便漏らして泣きべそかきながら逃げ帰ってきた自分を直視させられたのだ。 2023年の晩秋の瑞牆山。僕ら2人は思いつきで取り付いた大ヤスリのあるラインに夢中になっていた。強点の中のわずかなゆるみに希望を見つけ、拙いエイド技術を総動員して地面から少しずつ登り始めた。1日に数メートルという、文字通り蝸牛並みのスピードでジリジリと進むが、上まで辿り着けるのかはさっぱり分からなかった。それでも1日の終わりには身体はバキバキになり、得も言えないような充実感に満たされていた。 そして3日目、ピークまであと数メートルというところまで来て、リングボルトに手を出してしまった。 リングボルトだろうがフィックスロープだろうが、それにバックアップを取れば安心して戻れるというだけで一歩踏み出す負荷は信じられないくらい軽くなる。次のスカイフックに乗り込めばもう戻れるか分からないという恐怖に打ち勝ちながらここまで地道に登ってきたというのに...。自分の弱さから目を逸せないくらい、あまりにも分かりやすく見せつけられてしまった。 あそこでリングボルトを使わずに落ちると思うと確かに身の毛がよだつ...

the Tribe フリークライミングの純度

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 御茶ノ水の一画、これといって何の変哲もない通りの地下にぽっかりと空いた空間。階段を下っていくと、一種アトリエや博物館のような異世界的な時間が流れている。 この日はテルさんと大西さんのトークイベント。聴衆には普通だったら登壇する側でしょ、という著名なクライマーばかりで異様な緊張感があった。 テーマは「フリークライミングの純度」。 この面々を前にして急進的とも思える自分の考えをガンガン喋るテルさんに、やっぱ肝座ってるなぁというのが第一印象。 谷川でのフリーソロやハイリスクな山スキーは、クライミングとは何かを考えながらある意味実験として行っているようだ。そしてその固まっていない、いわば発展途上の思想をこういう場で惜しげもなく共有する姿勢が、強い信条を持つベテランの話を聞くのとはまた一味違って面白かった。イベントの後の歓談で、弱いところも未熟なところもちゃんと見せないとね、と言ってたけど中々できることじゃない気がする。 さて、本題のフリークライミングの純度という点について自分が理解した範囲で整理してみたい。 まず第一にここで言うフリークライミングとはスポートクライミングと対比されるもので、未知性や冒険性に重点を置くものとする。 道具や仲間など純粋なクライミング以外のものが介在することによってフリークライミングの純度は落ちるが、その不純物のラスボス的立ち位置に自己顕示欲がいる。SNSはもちろん、雑誌などのメディアや今回のトークイベントのように人前に出て自分のクライミングの話をすることで顕示欲はいつの間にか成長し、その欲は山を登る時にもねっとりと足元に纏わりついて純度を削っていく。要するに、自分のクライミングを誰かと共有することは完全なフリークライミングの観点からすると不純だよね、ってことだと思う。 フリークライミングをそういうものだとした上で、たとえ純度を落としてでもどんなクライミングをして何を思ったかを伝えることは大切なんじゃないか、とテルさんは言っていた。ジムから始める人がほとんどな現在のクライミング界を考えると、かの俗的な雑誌に寄稿して問いかけることも大事だし、自分が気づかなかった角度から思わぬ反応を生む可能性があるという意味でも必要なことなのだろう。 僕はといえばこの話を聞いて、岩と雪創刊号の巻末に書かれていた言葉を思い出した。 「登山とは登り、読み、かつ書...