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ねこまんま

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 一昨年の夏、瑞牆のボルダーに一本ラインを引かせてもらった。 新しい瑞牆ボルダリングガイドに載る予定だったが、残念ながら忘れられてしまった(あれだけ課題数あればしかたない~) まあボルダーだしなんの記録もなくていいかな、とも思ったが、去年知り合いが同じラインに目をつけてトライしていたこともあって、ここにひっそり残しておくことにする。 結構思い入れのあるラインで「ねこまんま」という大変立派な名前もつけたしね。 場所は、高原エリアの「西風と太陽」と「ハイランダー」の間。「カーニバル」と同じスタートから直上するライン。 薄い割れ目を辿って、最後は左寄りに抜ける。8mくらいあるのでなかなか怖い。 ムーブ強度は1級もないと思うが、高さと長さを加味して初段くらいかなぁ。 岩茸まみれだったのでロープ垂らして半日ゴシゴシして、ついでにそのままムーブもばっちり作った。 それでも登った時はかなり怖くて思わず声が出た。 ロープのすぐ左の筋がネコマンマ、右の黒い筋がハイランダー 上部で室井登喜男さん初登のハイランダーと合流する形になるこのライン(抜けは別れる)。登ってみて、やっぱり室井さんのすごさを感じずにはいられなかった。 本人に話を聞いたら、やはり、軽く掃除だけしてノーマットで下から登ったという。 まぁ上から掃除してるので、だいたいホールド分かっちゃいますから...。といつものように謙遜していた。 ロープにぶら下がってしっかりムーブを固めた自分が恥ずかしくなるが、当時の自分にはそこは削れない妥協だった。 ちなみに去年このラインをトライしていた知人というのは、倉上慶大さんのこと。 尊敬する人が同じラインに目を付けたというのは光栄の至りだが、同じ岩でも向き合い方は全く違う。 倉上さんは当然のようにグランドアップでトライを始め、マットももちろん無し。 「汚かったから誰もやってないと思ってた」と笑っていたけど、それでも掃除もせずに下から登り出す心の強さというか、懐の深さというか...。 室井さんも倉上さんも、普段接したときの柔らかさや、身にまとう優しい空気に、どうしようもなく器の大きさを感じる。 彼らのラインを登り、二言三言の言葉を交わすだけで、やっぱりこの人たちは巨人だなぁ、とつねづね思う。 ただでさえずいぶん上の方を登っていたのに、死んでしまったらもう、どこまでも遠い存在になってい...

石ころ登り

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 登喜男さんの手記を読んじまったら、これは登りに行かなきゃいかんでしょう。 Brave New World 実物は想像以上に巨大だった。出だしにしか付いていないチョークと薄緑色のスラブがさらに威圧感を増している。 マット無しでやる勇気はなく、とりあえず薄いパッド一枚持ってきたがどこに敷けばいいのか分からない。 駐車場であわよくばオンサイトしたい、と考えていた気持ちはいつの間にか消滅していた。 とにかくいけるところまでいってみよう。 一トライ目は出だしのダイクトラバースでとりあえず着地を確認。日当たり皆無の寒さも相まって手足が震えている。 二トライ目、縦のクラックを捉えてダイクに立ち上がるが、二段目に良いホールドが見つからず、飛び降りる。 まだ真ん中より下なのに膝や首への衝撃がすごい。次も同じところで落ちるが、着地の瞬間に転がって衝撃を少し逃がせることを確認。こういうのは地道に慣れていくしかないんだろう。俺にはまだ早いのかもしれない。 もし二段目のダイクを捉えて、その先で落ちたら、今の自分の着地スキルでは膝が逝く気がする。たかがボルダーでそんなリスクを負うべきなのか? 落ちるたびに、もう帰ろうと思った。怖い、寒い、帰りたい。でも、日の当たる向かいの岩に立ってしばらくラインを観察していると、もう一回だけやってみるかと、わずかな気力がにじみ出てくる。 もう一回だけ、そう思って登り始める。足位置を少し上げてみると、二段目を探る左手がかかりの良いホールドを捉えた。この先に進むべきか一瞬の躊躇があったが、気づくと右上を始めていた。もう戻れない。 ガバに立つと、さあ、ここでマントルしてみろ、と岩があからさまに訴えている。下を見ると、落ち葉が積もり、暗くて冷え切った地面が見える。マントルにしくじり、誰にも気づかれずに地面に横たわって冷たくなっていくイメージが強制的に脳内に流し込まれる。しまった、こんなところまで来るつもりはなかったのに...。 どれだけそこに立っていたか分からないが、かなり長いこと悩んでいた。右に降りればギリギリ着地できる高さまでクライムダウンできるかもしれない。でもここで降りたら悔しさに奥歯が磨り減っちまう。 適当に悪態をついてから深呼吸し、体勢を立て直せるラインを見極めつつ、少しずつ乗り込んでマントルを返した。 こんな簡単なムーブに何分もくよくよ迷ってい...

岩日記

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  この秋は印象深い岩登りがいくつかできた。ちょっと袖をまくって日記を書いてみよう。 10/31   雨や体重増加でなかなか思うように登れない8、9月を経て、やっと調子が上がってきたと思えた日。なぜかユージさん、堀さん、大西さん、村井さんという濃すぎるパーティに混ぜてもらい、ものすごい勢いで開拓が進んでいる裏八幡岩へ。 一人だけ場違いな奴がいる...  まずは村井さん初登の「ひじき」12c。ボルトルートではあるがランナウトに耐えてグルーブをじわじわと進む好きなタイプのルート。出だしで気圧されてか足を滑らせてしまったが、その後は気持ちを新たに終了点までノーフォール。気合で張り付いていたのでかなり疲れた。メンタル的にもこの日もう一回トライすることは難しかった。  続いて安間さん初登の「Gem Prosciutto」13b?。よくよく観察すると定期的にレストポイントがありオンサイト向きに見える。複数の厳しいボルダーがガバを挟んで連続している感じだ。何度も行きつ戻りつした後に覚悟を決めて一つ目のボルダーを越え、ガバレスト。二つ目はそこまで難しくないがバランシ―。ここのレストはいまいちで、次のボルダームーブに頭を捻っている間に徐々に吸われていく。どうにも分からない時は視野を広げてみる。ノーマークだった左面に薄カチを見出して辛くも攻略。しかしガバだと思ったホールドはスローパーで急速にHPが減っていく。バランスが悪くてどうしても左手がチョークアップできずにぬめっていく。結局次のムーブが閃かないうちに左手が抜けてロープにぶら下がってしまった。100m全力疾走した後のような激しい息切れと共に悔しさが込み上げてくる。いま、確かに惜しかったのだ...!パンプでもう一度テンションを掛けて抜け、次のトライでRP。しかし大西さんがあまりにあっさりオンサイトしてしまい驚愕する...。  おそらく13aくらいと思うが、そのグレードのオンサイトが勝負できると実感したのは大きな収穫だった。  余談だが、実は3年ほど前、まだほとんどルートが無い時に裏八幡岩の可能性を探りに基部まで来て、そのときはボルトが必須に見えるこの壁に、私はお呼びじゃないと踵を返したことがある。この日再びこの岩塊を前にしてボルトの数に少したじろいだのだが、登ってみればどれも素晴らしいルートばかりで驚いた。ボルトを打...

昼下がりの情事

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  10月23日、"Trainspotting"のすぐ左脇、顕著なコーナーのプロジェクトを完登することができた。ルート名は"Lunchtime Affair"、意味はお昼時の行為(情事)といったところ。去年のナナファテ勤務体制で土日祝の昼休みが3時間あり、その間にしこしこ掃除しに行っていたことになぞらえた。このルートに関してだけかもしれないが、開拓はなんとなく性的な関係に似ている気がした。  隣の"Trainspotting"と雰囲気は似ているが、とりわけ大きく違う点はボルトの存在だ。そもそも去年までの自分は、今後の人生で一度たりともラペルボルトを用いた開拓行為はしまい、と強く思っていた。それなのに今年の9月になって、突然ぽんっと「ボルトを打とう」という考えが頭に浮かんで、手打ちキットを買うやいなやすぐにぶら下がっていた。その決断は二年間の熟考の末だったとはいえ、ボルトを打ち込んでから登るまではその理由がいまひとつ分かっていなかった。しかし完登して数日経ち、ぼんやりと見えてきた輪郭を、不完全なままではあるが忘れてしまわないうちに描いてみようと思う。  考えやすいように整理してみると、ポイントは「ルートとしての完成度」、「心身の弱体化」、「承認欲求への抵抗」あたりか。  一つ目と二つ目は分かりやすい。まず「ルートとしての完成度」は、岩質の脆さと合理性のバランスのことだ。握り込んだり踏んだりする分には全く問題ないが、リムーバブルプロテクションでフォールした際には岩ごと吹き飛ぶリスクが、ほとんどどのプロテクションセットにも内在していた。そもそもセット自体がかなりトリッキーで、未来のクライマーにグランドアップで登ることはとてもお勧めできない代物だった。ランナウトの距離自体は"Train"の方が長いが、固めどりして突っ込めるのでメンタルの強い人ならビッグフォールの予感を楽しめると思う。それに比べて"Lunchtime"は、どこまでが安全でどこからがヤバいのかが判断できず、ほとんど賭けに近いクライミングになってしまう。いうなればフリーソロと大差ない。もちろん徹底的にムーブを固めて絶対的な自信をつければボルト無しで登れるが、それにどんな意味があるのか?  二つ目の「心身の弱体化」に...

ペルー遠征報告会を終えて

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 2024/9/28 ルーフロックでペルー遠征の報告会 参加費を取るということで誰も来てくれないんじゃないかという不安があったが、なんとか天候が保ってくれたこともあってか多くの人が聴きに来てくれた。 報告会が無事終わったことも安心したが、何よりルーフロックがクライマーを支え、クライミングを共有する場としての一歩を踏み出す、その手伝いができたことが何より嬉しい。 そして、報告会の準備をする段階で今一度キタラフでの登攀について考えた。そこには(やはりと言うべきか)、下山直後とは違う情景があった。大きなクライミングには、咀嚼し、消化し、血肉とするまでにはある程度の時間が必要なのだ。もちろん人によって必要な時間はそれぞれだろうが、僕にはそれなりの期間が要る。そして改めて見つめ直すと言う意味でも、アウトプットをする機会やそのプラットフォームは大切だ。当然そこでセルフプロモーションやビジネス的な行為に走るなど論外だ。 さて、キタラフについて、登攀からおよそ3ヶ月が経ってなにが見えてきたのか? 下山してすぐに書いたブログには満足感と楽しさが伺えるが、今振り返って見てみると、登攀中の光景や体験はどうにも「夢」だったように思えてならない。 これは日本の冬壁や黒部やパタゴニアを思い起こす時とも違う、妙な感覚だ。 次から次へと現れてきた奇妙な形をしたキノコ雪。彼らの役割は常に上に登ろうとするクライマーを困らせることにあったが、同時に必ず手の込んだ抜け道を用意していた。「不思議の国のアリス」に登場するイモムシのように、話は通じないがアドバイスをくれたりする。 キノコ雪は右に飛び出たり左に傾いたり、根元はブルーアイスのくせに上はシュガースノーで、気温や風や日差しの完全な調和の中で山にへばり付いている。尾根を行く僕らの視界は遮られ、気持ちよくアックスを打ち込んでいると思うと急に手応えがなくなり、スカスカの雪をかき分けて絶望的かと思えば下からカムの効く岩が現れたり、とにかく期待は片っ端から裏切られ続ける。そのうち心は期待することをやめて、山が差し出すものをひたすらに受け入れるようになっていく。 それはまさに夢の中で、訳の分からない状況に追い込まれているにも関わらず自然にそれを受け入れているあの感覚だった。 視覚的にも身体的にもカオスなクライミングの中に没入していた数日間。 日本で見たGo...

La Esfinge

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 "La Esfinge"はスペイン語でスフィンクス。 深い谷をガタガタ走る車の窓から首を突き出し、両岸にずらりと連なる巨大な岩壁を見上げる。わざわざ"La Esfinge"まで行く必要はないんじゃないかと思うくらい立派な壁たち。 それでも藪の中の踏み跡を息を切らして歩くこと二時間半、丘陵の向こうにふと現れた”スフィンクス”はひときわ輝いていた。 台地の上に独立してにょきっと生えた黄金色の岩山。ひょっとするとフィッツロイに感銘を受けたペルーアンデスの巨人が、花崗岩をコネコネして似せて作ったのかもしれない。 パタゴニアのジャーナルに載っていた、"La Esfinge"の1985オリジナルルートを登るストーリーがなぜか印象に残っていた。 6000mの冬壁を目指してはるばるペルーにやって来たけど、密かに登りたいと思いを募らせていたこの岩峰。 キタラフの南スパーを登り切り、もうしばらくはシュガースノーと戯れたくない気分になっていた僕らにはちょうど良い遊び場だ。 1985オリジナルルートの前半9ピッチは、威圧的な見た目のクラックに幸せなホールドたちが散りばめられたWoo-hooパート。 誰も触ったことのないこの岩を自分が初めて眺めたとしたら、たぶんここを登るだろうとなぞるライン。 "Plaza de las Flores"という花壇のような大テラスを境に、後半はどこでも登れそうで意外と登れないアルパインパート。ロープはぐいぐい伸ばせるが、ラインを間違えると支点が作れない。 日が暮れる前に降りたいので出だしからスピードのギアを一つ上げていく。 ピッチごとに身体の動きがスムーズになっていくのが分かる。 足に乗り込み、手を伸ばし、カムを決める。流れるように攀じ登り、ハイになってゆく。 そして最後のピッチが文字通りのクライマックス。 際どいプロテクションと5000mの高度感で後頭部が痺れてくる。 凹角に庇のように被さったブロックに乗り上がると、急に風が吹き抜け、空がぐっと大きくなった。頂上だ。 余韻に浸って心地よい風を受け、ふと横を向くと大きな鳥がこっちを見ていた。 こいつも俺と同じようにこの風を味わっているのだろうか。 しばらくしてその猛禽類はおもむろに崖を飛び降りたかと思うと氷河の上をスイ―っと滑空し...

ペルーアンデス④ 〜巡礼〜

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  Quitarajuを登って感じた"旅の感触"とはなんだろう。  遠征そのものはもちろん旅と言える。そこには普段と全く違う文化があり、違う言語があり、違う文化と言語を持つ人々がいる。長い時間をかけてペルーまで移動し、しばらく滞在してまた元の生活へ戻っていく。その期間に触れた異文化、出会った人々のおかげで、良くも悪くも旅の前と後で自分が少し変わったような感覚を持つ。  このクライミングでも、アタック前と後で自分の中にちょっとした変化があったような気がする。それは奇怪で大小様々なマッシュルームのせいか、見慣れないアンデスの景色のせいか、あるいは高所でのビバークのせいか。5日間と短いながら、異文化と強く交わって駆け抜けた。異界の中を潜り抜けた感じと言ってもいいかもしれない。そう言うと村上春樹の小説を思い出す。まさに彼の作品を読み終えたときの感覚に似てるかもしれない。  そして羊男のセリフを思い出す。 「踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ」  一日一日は冬壁登攀だが、振り返ってみると僕らが行った行為はクライミングというよりも巡礼に近いような。  日本ではまだ黒部以外で感じたことのなかったこの巡礼感覚は、もしかするとアルパインクライミングの真髄なのか、否か。 巡礼といえば  下山の翌々日、 ABCの残置を自力で回収出来なかったと前に書いたが、そのことで"ルートを登り切った"と言えなくなってしまったように感じている。遍路で最後の一箇所を諦めたような、閉じるべき輪がきちんと閉じなかったような気持ちがある。 あの日は本当に身体が言うことを聞かなかった。2人がピークを踏んで戻ってくるのを、山頂直下で待っていたような気分だ。そして実際のところ、本質的にはそういうことなの かもしれない。 そう思うと、悔しさがじんわりと込み上げてくる。