ペルー遠征報告会を終えて

 2024/9/28 ルーフロックでペルー遠征の報告会

参加費を取るということで誰も来てくれないんじゃないかという不安があったが、なんとか天候が保ってくれたこともあってか多くの人が聴きに来てくれた。

報告会が無事終わったことも安心したが、何よりルーフロックがクライマーを支え、クライミングを共有する場としての一歩を踏み出す、その手伝いができたことが何より嬉しい。


そして、報告会の準備をする段階で今一度キタラフでの登攀について考えた。そこには(やはりと言うべきか)、下山直後とは違う情景があった。大きなクライミングには、咀嚼し、消化し、血肉とするまでにはある程度の時間が必要なのだ。もちろん人によって必要な時間はそれぞれだろうが、僕にはそれなりの期間が要る。そして改めて見つめ直すと言う意味でも、アウトプットをする機会やそのプラットフォームは大切だ。当然そこでセルフプロモーションやビジネス的な行為に走るなど論外だ。


さて、キタラフについて、登攀からおよそ3ヶ月が経ってなにが見えてきたのか?

下山してすぐに書いたブログには満足感と楽しさが伺えるが、今振り返って見てみると、登攀中の光景や体験はどうにも「夢」だったように思えてならない。

これは日本の冬壁や黒部やパタゴニアを思い起こす時とも違う、妙な感覚だ。

次から次へと現れてきた奇妙な形をしたキノコ雪。彼らの役割は常に上に登ろうとするクライマーを困らせることにあったが、同時に必ず手の込んだ抜け道を用意していた。「不思議の国のアリス」に登場するイモムシのように、話は通じないがアドバイスをくれたりする。

キノコ雪は右に飛び出たり左に傾いたり、根元はブルーアイスのくせに上はシュガースノーで、気温や風や日差しの完全な調和の中で山にへばり付いている。尾根を行く僕らの視界は遮られ、気持ちよくアックスを打ち込んでいると思うと急に手応えがなくなり、スカスカの雪をかき分けて絶望的かと思えば下からカムの効く岩が現れたり、とにかく期待は片っ端から裏切られ続ける。そのうち心は期待することをやめて、山が差し出すものをひたすらに受け入れるようになっていく。

それはまさに夢の中で、訳の分からない状況に追い込まれているにも関わらず自然にそれを受け入れているあの感覚だった。

視覚的にも身体的にもカオスなクライミングの中に没入していた数日間。

日本で見たGoogle earthから、あるいはベースキャンプでの偵察からの答え合わせ、ではなかった。ただただ「なんじゃこりゃぁ」の連続する、奇々怪界、魑魅魍魎。社会の秩序や人間の作り出したシステムがまやかしだと、生きていることの意義も理念も便宜的なものでしかないということを、怒涛のような自然、生態系を浴びて体感した。

縮んだアリスのように生き物として生を謳歌し、ウサギの穴を潜り抜けて地上に戻ってきた気分だ。


ただ、キタラフでは(激しい咳きを除いては)苦痛がほとんどなかった。指が千切れそうな寒さも意識が朦朧となるような飢えもなかった。岩と雪氷が織りなす完全に調和のとれたカオスに肉体的・精神的な極限が混ざり合ったら、いったい何が見えるのか。穴から抜け出たとき何かが変わっているのだろうか。

興味が湧いてきた。

コメント

このブログの人気の投稿

開拓クライマーへの苦言(if not 大言)

バーカーの名文を訳して

ビアフォ氷河は動きすぎない