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ペルーアンデス① 〜思考はいかにして身体に支配されるか〜

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日本→香港→ロス→リマ→ワラス  香港-ロス間で「哀れなるものたち」を観た。とてもあの狭苦しい機内で観るものではなかった。  ワラス行きのバスが翌朝発のため、リマ空港で寝る。空港内は次から次へと清掃していて案外とキレイだった。床を拭いた後にモップをメトロノームの要領で左右に振って濡れた床を乾かしていた。みな鏡で写したように正しいフォームでモップを振るので、マニュアルに書かれているのか、はたまた偉大な先輩からの口伝なのか。ワラスの街でも見かけたので、もしかすると小学校で習うのかもしれない。  空港から一歩外へ出ると、そこは別世界。鳴り響く多種多様なクラクションと見渡す限りのカオスが広がっていた。  さて、日本を発っておよそ1週間後、コルティエラ・ブランカ山群のアルパマヨベースキャンプ(4300m)にいた。ロバ3頭を雇い、いたるところで牛が草を食むのどかな高原を進むこと2日間。  以下は、富士山より高いところに登ったことがない男が高所ってのはどんなもんじゃいと意気込んでやってきたペルーアンデスの手記。 どんなもんじゃい! ~~~~~ 6/3 今日はモレーンキャンプまで 500m 以上ハイクアップ。皆んなでパッキングするが、下痢で全然集中できない。気づくとザックが信じられないくらい重くなっていた。この体調でこれを担いで登るなんてできるのか ... 。足場も安定しない地獄のような登りで、三歩歩けば息をついて立ち止まる始末。つぼちゃんはもはや見えない高さまで登っていて、自分が情けなくなる。 100m ほど上に雄大くんが見えて、助けの手を差し伸べてくれるんじゃないかと期待するも虚しい。数 m ごとに荷物を下ろしてしばらく休むが、担ぎ直すだけで休憩時にチャージしたほぼ全てのエネルギーを消費する。暑さのせいか何も食べたくないが、水はすごい速度で減っていく。残り 100m ほどで 2 人が待っていて、ロープやジェットボイルを持ってくれた。ありがたい、、ありがたいけど、もっと早く持ってくれていれば。。。もう身体は終わっていた。 テントでの記憶はあまりない。 6/4 未明、水を作っていると頭痛が襲ってきた。今までの脈拍に合わせた襲撃とは違う、万力でギューっと締め上げるような救いのない痛み。  昨日、吐き気を催すほどきついハイクアップで ( いつロープを投げ捨てようかずっと考えていた ) ...

天国への階段

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 深呼吸。登り出す。美しい、伝説的なギターリフ。小さなテラスに上がり振り仰ぐ。徐々に細かくなるホールド。足が震え始める。ロバート・プラントが歌う。"Sometimes all of our thoughts are misgiven"。不安定なシェイク。時間稼ぎ。満を持してドラムが叩かれる。まっすぐ上へ。風が体を剥がしにかかる。何度目かの"makes me wonder"。今度はまっすぐ右へ踏み出す。激しいギターソロ。錆びたRCCボルトにクリップ。岩茸を手で払い、マントル。  そして彼女は天国への階段を手に入れる。   マラ岩の真ん中を縦横無尽に走るこのルート「Stairway to Heaven」は小川山でも指折りの名ルートでありながら、あまり登られていないようだ。一つには、ホリデーかスキゾフレニーの2ピッチ目にあたるロケーション。そして一つには錆びたボルトが原因かもしれない。   2022年5月、マラ岩の頂上で、エクセレントパワーを登った時とよく似た充実感に再会できた約一年後、ロクスノ#101でリボルトの記事を目にした。心許ないボルトがピリッと刺激的な味を出していたことは脇に置いておくとして、リボルトは良いことだと思った。ただ、その記事の文章には首を捻りたくなる点がいくつかあった。   何はともあれ、自分の目で確かめてみよう。スキゾフレニーからピッチを切らずに繋げて、つまり地面から頂上まで一息に登れたら気持ちいいだろうという妄想を実現していなかったので、ちょうどいい。    気持ちいい秋晴れの日、Stairway~出だしの棚から見上げて少々面食らった。  (おお、ボルト遠いなぁ)  まあまあ、と登り始めるが、いいスタンスから一、二歩乗り出さなければクリップできない。  (むむ、これはこれでパンチが効いてるかも?)  しかし続くボルトもヌンチャクを掛ける動作が際どく、さらにはランナウト状態の核心ムーブ最中でのクリップを強いられた。  (んーさすがにこれは変だぞ...)  結局トラバースを終えたあたりでクリップ時にスリップして妄想もろとも15m近く吹っ飛んでしまった(これはただ自分が下手くそだっただけだが)。  気を取り直して上まで抜ける。最後もなか...

PATAGONIA内面登攀

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 地球をぐるりと半周してここチャルテンの町にたどり着いてからおよそひと月が経った。フィッツロイ、デラエス、サン=テグジュペリとすでに3つのピークに立ち、ここまで恐ろしいほど順調に来ていたが、セロ・トーレをすっぽりと包み込んだかと思うと凄まじい勢いでフィッツロイ山群にその手を伸ばす嵐雲から転げるようにして町に逃げ帰ってから、毎日のように台風並みの雨風がキャンプ場の屋根を叩きつけていた。風に揉まれながら町の反対側まで歩き、お気に入りのカフェになんとか腰を落ち着けると、時折り雲の切れ間から冬化粧をしたフィッツロイが顔を覗かせるのが見えた。この地をよく知るクライマーに言わせれば、これまでが例外的にドライだっただけでありこれがパタゴニアの本来の姿だそうだ。     日本でぼんやりと、これが出来たら満足だろうと考えていたことはこの一ヶ月で嘘みたいに達成してしまっていた。それでも人間とは欲張りなもので、一つできることが分かると、三つも四つも手に入れたくなるらしい。夜通しの懸垂を終え、トレイル脇で何度もうとうと眠り込みつつやっと下山したかと思えば、次はこれを登ろう、あれを登ろうとガイドブックにいくつも付箋を貼ってニヤニヤするのだ。  ポインセノットはフィッツロイの隣で二番手の立場に甘んじている。にも関わらずそのすっきりとした円柱形の美しさと威厳は、隠し切れない色気が染み出すように不気味な光を放って僕らを誘い続けていた。2日半ほどのウィンドウが訪れたとき、ビバーク装備を担いでじっくりとこの岩塔と向き合うことに決めた。山は相変わらず白いが、陽の当たりやすい北面(ここは南半球だ)のぶっ立ったラインであれば可能性はある。ここには数週間前にカナダ人の友人が新ルートを開いており、心が熱くなる話をたくさん聞かせてもらっていた。僕らはそのすぐ隣、写真からも顕著なクラックが見て取れるラインを選んだ。エイドピッチを含むルートだが、C1やC2がほとんどで上手くいけばフリー化も狙えるかもしれない。    初日は街から見てフィッツロイ群の裏側、Niponinoと呼ばれるキャンプ地まで、氷河を吹き抜ける爆風を額で切りながらハイクアップ。翌未明、月夜に浮かぶスカイラインに向かって登り始める。高度差1,000mほどの岩稜帯を主に同時登攀で登る”アプローチ”だが、ところどころ氷が張っていてペースは上がらず...

開拓もやもや備忘録

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 瑞牆で開拓中のルートがある。 「瑞牆クライミングガイド」に載せてもらった「Trainspotting」というルートのすぐ左、顕著なコーナーに目を付けた。名前未定なので、とりあえず「Train左」と呼ぶ。 そもそもはこのコーナーを掃除しようと思って上に回り込んだんだけど、降りる地点を間違えたら偶然Trainspottingのクラックを見つけて開拓の順番が逆になった。 Trainspotting (photo:Suzuki Takemi) Train左のコーナーは全くクラックも見えなかったのでボルトルートになるだろうと思っていた。ボルトはあんまり打ちたくないけど、一応掃除してみてから考えようかなと思いぶら下がると、なんと所々で割れ目があるではないか! 興奮してせっせと通っては掃除を始めた。 Trainspottingと同じく壁一面にびっしり地衣類がはびこっていて、ラインが斜めになってるのでぶら下がってゴシゴシやるのがかなり大変。振られ止めのカムが効く場所も限られていて、振子状態で左右にぶらぶらしながら広範囲で磨く作戦に出てみる。 これがとにかく腰にくるんです。 Trainspottingの時に開拓ってこんな大変なのかと思い知らされたけど、今回改めて面食らってる自分がいる。 Train左 それでもぶら下がってる間は夢中になって時間を忘れる。 毎週末仕事の昼休みに職場を抜け出して(岩場至近の職場では土日3時間の昼休憩があった)、瑞牆に向かう車の中でおにぎりをほおばり、ダッシュでアプローチしてぶら下がっては泥と苔にまみれて時間ギリギリに帰ってくる。 日々少しづつキレイになっていく壁がうれしくて、雨予報だろうが睡魔が襲って来ようがやめられなかった。 そんなワクワクと同時に、いつもモヤモヤが胸にまとわりついていた。 ガバが埋もれた棚に乗ったわずかな土の上に、青々とした苔と緻密に根を張り巡らす小さな木が命を育んでいる。こんな小さな庭園を破壊したくはないが、このままでは登れない。 毎回しばらく逡巡してから、意を決してごっそりと剥がして地上に投げ捨てる。 そのたびに、ああやってしまった、このラインにはそこまでして登る価値があるのだろうか、と思う。 でもここまで苦労してぶら下がって掃除してきたんだし、今さら...とか きっとまた土に戻って生えてくるだろう、巨大な森という生命体の...

どん底の旅

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  credit: taichi kagami  長野県大町市から富山県の上市町まで真っ直ぐに歩くことを決めた旅人には、後立山、黒部別山、そして剱岳という三つの関門が立ちはだかる。これらの山が東西に伸びる一つの山脈として繋がっていればなんてことはなかったかもしれない。しかしその山々を隔てるようにして喰い込む黒部川と剱沢は、その頂に匹敵する迫力とそれ以上の不気味さをもって人間を拒絶し、比類なき山深さを誇示している。とりわけ豪雪を飲み込んだ黒部渓谷は巨人のノドの如く深々と抉れ、覗き込む者の足をすくませる。まさに北アルプスの心臓部である。  「厳冬期の黒部横断」という言葉の響きは、山好きであればなんだかソワソワしてしまうものだろう。だが冷静に考えてみると、深い雪に重い荷物、そして何日も洗わぬ身体は指の先までプンプン臭うとなれば実際に出かけるやつは変態しかいないというのも頷ける。今回黒部横断を共にした仲間である加々見さんは彫刻家というだけあってやはり変態なのだろう。もう1人などはごっくんという名前からしてもはや疑いようもない。かくいう僕はそんな彼らに唆されて冷静さを失ってしまった哀れな常識人にすぎない。 本当は僕らのリーダーである真の変態がいるのだが残念ながら参加できなくなってしまい、横断童貞の3人で挑むことになった。メニューは近年記録の見られない黒部別山の壁尾根をオードブルとして、メインディッシュの源次郎尾根から剱岳を目指すワクワクドキドキコースである。  クリスマスを目前にした12月23日、僕らは信濃大町駅の駐車場に集結した。 出発時に荷物を測ってみると、2人とも僕よりかなり重い。ごっくんに至っては5kgも重いではないか。重量が偏らないように綿密に装備を割り振ったはずだったが、これは後に彼らとの器量の差だったことが判明する。器の小さい僕は、少し持つよ、なんて言わない。 マイカーで日向山ゲートまで移動し、扇沢までの長い道路を歩く。扇沢から岩小屋沢岳の南に伸びる新越尾根の取り付きまでは単調な林道の水平ラッセルとなり、精神的にはここが今山行で1番きつかった。初日にして帰りたいと願ったが、尾根に乗り藪を漕ぐとにわかに楽しくなってくるのだから不思議だ。適当なところでテントを張り、入山祝いという謎の宴会が始まる。僕は特に出すものは無かったが、早くも合鴨肉やシュトーレンが出て...