K7縦走のお誘い
少し前、今年の6月ごろの話。K7からのバックキャラバン前日、7月2日に書いた日記をそのまま。
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K7主峰の長大な南西稜を登り切って未踏の中央峰へ縦走するという壮大な計画を掲げてパキスタンはカラコルムのチャラクサ谷にやってきた。
アタックの日数は最大で10日間と、アルパインスタイルではギリギリの長期山行に向けて入念に準備を行い、粘りに粘った天候待ちでついにおあつらえ向きのビッグウィンドウが訪れ、意気揚々とベースキャンプを出発したところまではよかったものの、色々あって二日目には敗退を決めた。到達した標高は5000mにすら満たなかった。
その後しばらくはBCで悶々とした時間をすごした。雲一つない晴天がやるせなく、太陽から逃げ場がないように思えた。
それも二日も経つと気持ちはまた前向きになり、去年と同じコックのハミッドが作る絶品料理と無数のボルダーにラインを探す時間に幸せを感じられるようになってきた。
やはりヒマラヤの山は難しい。どんなに壁のコンディションや天気のめぐりが完璧でも、メンバーの体調がそろわなくては進めない。人間もまた自然の一部であるわけだし、あらゆるピースがはまらなければ最後まで登ることはできない。要するに今回は(も)山が登らせてくれなかったということに尽きる。
みんなの体調も戻り、BC撤収まではまだ数日あるので、目の前にそびえるナイサ・ブラックを登ることにした。Jさんはこれで四度目のチャラクサ遠征になるが、この天然のピラミッドにはまだ触れたことがなかった。K7に比べれば確かに小物ではあるが、とても自然が作ったとは信じがたいほど端正な三角錐は、間違いなくあらゆるクライマーの琴線に触れる。BCに向かって真っすぐに伸びる南のリッジを、どうせならシットスタートで登ろうということになった。"No more tasty talking"という立派なルート名付きで2004年にプレゼリとブルースミラーが登っているが、詳しい情報は手元にないのでとにかく楽しそうなところを登ってみよう。
取付きまではBCから30分もかからないという手軽さ。しかもほとんどトレイルから外れることなくそのまま登り出せるのだ。出だしはフェースをすっぱりと割るように走ったハンドクラックからワイドの☆☆☆ピッチ。ショートルートとしてこれだけ登って帰ってもその日の晩は酒がうまいだろう。その後はリッジを少し進んで第一、第二、第三バンドをつないで下部岩壁の正面フェースに入っていく。この下部岩壁で全体の半分、およそ500mほどある。そして残りの半分がピラミッドだ。下部岩壁のど真ん中には浅い凹角状の節理が続いていて、魚のヒレのようなフレークが無数に折り重なっている。ヒレは見た目に反して硬く、興味深い登路を提供していた。5.10台あるかないかくらいの個性的なピッチが連続し、しかも下部岩壁全体を通してもれなく快適なレッジやテラスでビレイできるというおもてなしぶり。最後はスラブに散りばめられたカチをつなぎながらトラバースしてナイフリッジに出ると、目の前にピラミッドの全貌が現れる。正面の立派な鼻筋を攀じるイメージに胸が躍るが、今日のところはコルまで1ピッチ分懸垂下降して寝床を探す。
このクライミングのメインはなんといっても今夜のオープンビバークで食べるThe Small Twistだ。本当はK7の南西稜でいただく目論見がおじゃんになってしまったのだが、テントを持たずに雄大な景色に囲まれて食べるご飯もまた格別だろう。今日は一泊分の荷物を揚げながら17ピッチをこなしておなかペコペコだった。コルからもう1ピッチ分ルンゼを下ると人が一人横になれるだけの棚が三つほど見つかり、脇には水がちょろちょろ流れていた。棚に腰掛けると厳ついナミカ北稜や数々のスパイヤーが視界に飛び込んでくる。こっちの壁もいい、あっちのリッジもよさそうだとわいわい話しながらお湯を沸かし、至福の時を待つ。そろそろかなとパックを開けて一口食べると…バカ美味い!北杜市の恵みとDillのみんなの愛情がたっぷり詰まったスモールツイストを心ゆくまで味わい、シュラフにもぐり込む。棚はやや斜めだが、煌々と輝く十四番目の月に照らされた世界をぼんやりと眺めているうちにいつの間にか眠りに落ちた。
翌朝コルまで登り返してピラミッドを見上げると、山頂が意外に近く見えた。
「午前中にはピーク立てるんじゃねぇの?」
「まぁサクッと登って午後はベースでのんびりしましょう」
のんきにそんな会話をしていたが、案の定ここからが本番だった。コルから2ピッチ目が全体の核心で、クラックはほとんどシワのようになり、一瞥しただけではラインが分からない。左に行っては戻り、右のスラブの先にクラックが現れ、また右に行っては戻りと探りさぐりロープを伸ばす。60mいっぱいでテラスに届き、ところどころランナウトしながら絶妙にラインがつながっている素晴らしいピッチだった。その先も程よくスパイスの効いた好ピッチが続き、6ピッチ、7ピッチと登るうちに正午をまわったが、一向に山頂が見えない。傾斜の強くなる手前のレッジでピッチを切り、垂直から薄被りの10mを登ってマントルを返したJさんが歓喜の声を上げた。
「フォーー!山頂だ!!」
おお、ようやく山頂が見えたのか、と思ってフォローでマントルを返したら、一気に視界が広がってナイサブラックのピークに出た。なんてスペシャルな山なのだろう...。ペルーのブランカ山群にあるラ・エスフィンヘという岩塔を登ったときも「マントルを返すと、そこは山頂だった」という粋な計らいに感動したものだったが、それに勝るとも劣らぬ驚きと興奮を覚えた。振り返ればK7南西稜が下から上までばっちり、中央峰も見渡せた。気がつけばもう15時前。さっさとブリティッシュルートを降りてハミッドの絶品ビリヤニを食べよう。
このナイフリッジを少し下れば残置があるだろう、と思いきや行けども行けども背びれトラバースが終わらない。同時登攀でひたすら背びれの先をつかむことおよそ200m、ようやく下降支点が現れた。遠目には三角錐のどの測稜もほとんど同じ形状に見えたのに、それぞれこうも個性的とは!新しい驚きに包まれながら四回のラッペルで東の肩に降り立ち、北側のルンゼを歩いて下山した。
ベースキャンプではハミッドとキッチンボーイのナヴィさん、リエゾンのシャヤーンが抱擁で迎えてくれた。我々が登っているところを双眼鏡でずっと追っていたそうで、辺りの花を摘んでお祝いのブーケまで作って待っていた。メインの目標よりはだいぶ小ぶりとはいえ、やはり遠征に山頂があるかないかは大きい。
それにしてもナイサブラックは良い山だった。たった二日間のクライミングでここまで充実した気持ちになるとは思っていなかった。同時にまた、ナイサの山頂から望んだ巨大なK7南西稜を登り切って降りてきたらいったいどんな気持ちになるのだろうかと想像せずにはいられない。あの素晴らしいロッククライミングがあり、腰が痺れるほどの重荷の荷揚げがあり、その先にさらに垂直の氷や複雑な稜線が待っているのだ。そしてこの計画の一番クールな点は、これほど長くて濃密なK7主峰南西稜を、未踏のK7中央峰の”アプローチ”として登ってやろうという大胆さだった。それでいてセラック等のリスクも比較的低く合理的なラインで、なによりも美しい。登れてもいないのにこんなことを言っても取らぬ狸のなんとやらかもしれないが、実際にチャラクサへ来て壁を眺め、たった一日、ほんの先っぽだけだけとはいえ登ってみて、このラインにすっかり魅了されてしまった。そして登攀中は背後からおそろしく大きなK6がずっとこちらを見つめている。K6はまさに難攻不落の要塞といった形容がぴったりで、ひっきりなしに轟音を立てて雪の塊をふり落とし、侵入者を徹底的に拒んでいる。そんな神々しいほどの山々と惚れ惚れするような岩の塊に囲まれてボルダリングに熱を上げたり星を眺めたりして過ごした日々に、失敗だとは棒に振っただとかいう言葉はしっくりこない。それでもまた、この何にも代えがたい時間を今度こそは一生胸に焼きつけるために、もう一度この場所に戻ってくるだろう。
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