クライミングのセンス?

 千葉雅也の「センスの哲学」を一気読みした。

ほんとに読了ほやほやなので全然まとまっていないが、ぽつぽつと頭に浮かんだ考えを吐き出してみようと思う。


とりあえず要点を書き出してみると、

・センスとは、価値観はいったん脇に置いておいて、直観的なリズムに身を任せること


・リズムは非連続的(存在/不在)なビートと連続的(濃/淡)なうねりから成る


・リズムには一定の反復(予測可能性)と、そこからのズレ(予測誤差)があるから面白い


・遊びにはこのズレをシミュレートして、ある程度の外れ値にも慣れる機能があるといえる


・ヒトには生存本能に矛盾するフロイト的「死の欲動」があり、ズレのストレスを楽しむラカン的「享楽」をもっている


・反復とズレがほど良いバランスだと「美的」になり、ズレ(予測誤差)が許容範囲をこえて大きくなってバランスが崩れると「崇高的」になる


・遊びやゲームはあくまでも目的志向で、ハードルをわざわざいくつも作ってそのサスペンス(緊張状態)を楽しみながら目的達成の楽しさをシミュレーションする

芸術はその宙づり状態(サスペンス)のほうに重きを置いて「享楽」を楽しむ



垂直移動バカなのでやはりどうしてもクライミングのことだと思って読んでしまうんだけど、スポートやトラッドで「面白い」と感じるルートの条件にはリズムの良さがあると思うので、センスをリズムで定義するのはわりと直観的にわかる気がする。


もう少し深読みして、アルパインクライミングは芸術行為となりえても芸術作品を作るわけではないという前提で考えてみると、


登山やクライミングは、ピークあるいは完登という「仮の」目的を設定して、そのプロセスをわざわざ引き延ばし遅延して楽しむ遊びといえると思う。

さらに「登り切る」という目的意識を弱めていく(自己目的化する)ことで、偶然性に開かれてより芸術的な行為になるともいえる。


オリジナリティをもって登るとは、大自然という「崇高」な世界のなかで自分が面白いと思えるリズムをもっていそうなラインを探して、美と崇高のきわを捉えること、そして予測不可能なズレを楽しむ余裕を広げていくことではないか。


と、なんとなく結論めいたものを出してみたが、まるで間違った理解をしている気もする。

それはそれで新しいものを生むかもしれない「誤配」ということでご愛敬。

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