ビアフォ氷河は動きすぎない
ここはパキスタン、カラコルムのBiafo氷河沿岸、BC・バインダーブラック。悠々と流れる時間の中、モレーン上のお気に入りの岩に座って、千葉雅也のドゥルーズ論「動きすぎてはいけない」とじっくり向き合っている。
ひと月半の間、インターネットの世界から離脱する。現代人にとってはちょっとした一大事だ。しかしこの場所に退屈するようなことはない。氷河の対岸には剣山のごとくツンと尖った山々が連なり、夕暮れ時に草原の広がる丘を上がれば、文字通り天を衝くようなとてつもない質量を誇る花崗岩の塊が黄金色に輝きはじめる。あの山のどこを、どうやって登ろうかと思い巡らせれば、いつまでも見飽きることはない。ベースキャンプにはゴツゴツした小高い丘から小川が届き、白い岩の急斜面から麓へ行くにつれて草花が広がり緑のグラデーションを見せている。辺りには程よい大きさのボルダーがいくつも転がっていて、晴れている限り夢中になって石ころ登りに興じる。手ごろな下地の大岩を見つけると魔女的な目付きで近寄って眺めまわし、考えられる限りあらゆるラインを登りまくっては次なるボルダーを探す。雨降りの日にはテントを叩く雨粒の音を聴きながら本を読んだり絵を描いたりしてゆったりと過ごす。これ以上に贅沢な暮らしが想像できるだろうか。
僕はいま、つながりすぎる世界からの一時的な離脱を享受している。
仲間と話すことは、過去の記憶と少し先のこと。
意味があるのは、半径数kmの事情と海の向こうの大事な人たちだけ。
現在は僕らだけのもの。
社会から切り離され、草木や山、岩や雲とつながっていく。
この場所に来て、失われていた視界が少しずつ光を取り戻してきている。僕は気がついていなかった。世界中の「いま」が見えすぎて、この自分の、まさに目の前の「いま」を享受できていなかったこと。過去から未来への連続性を意識しすぎて、「いま」この瞬間を感知できていなかったこと。
それをはっきりと教えてくれたのは、ベースキャンプでの石ころ登りだ。これまでいかに、「何級なのに」や「この前はもっとできたのに」などという不埒な考えが邪魔をしていたことか。ここへきて、岩登りの楽しさが立ちなおってきている。グレードも過去も必要ないありのままの石ころを気の向くままに攀じり、ただひたすらに夢中になっている。そして欲望が立ちなおってきている。自己肯定や大きな目標に遡らない、目の前の岩を登るためだけのシンプルな欲望。
ドゥルーズがボルダーを通して語りかける。僕はいまそれに応え、単純に生きている。
・・・・・・・
Skarduの街へ戻り、久しぶりにネットが覆う外世界と繋がった。ようやくダウンロードし忘れたあの曲も聴ける。しかしずっと聴きたかったその曲もいまひとつ心に響かない。不思議なことに、この小さな窓からみんなの「いま」が見え、溢れんばかりの暇つぶしのおもちゃを手に入れると、うまく暇をつぶすことができなくなった。
僕はこの遠征でなにを得て、なにを失ったのだろう?それはもうしばらく時間が経てば、自ずと見えてくるに違いない。
現在地は、すでに懐古のはじまった心の故郷と、少しのメランコリーと、滾るような悔しさの群島。分裂し、偏在し、その他無数の島嶼を行き来している。
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