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どん底の旅

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  credit: taichi kagami  長野県大町市から富山県の上市町まで真っ直ぐに歩くことを決めた旅人には、後立山、黒部別山、そして剱岳という三つの関門が立ちはだかる。これらの山が東西に伸びる一つの山脈として繋がっていればなんてことはなかったかもしれない。しかしその山々を隔てるようにして喰い込む黒部川と剱沢は、その頂に匹敵する迫力とそれ以上の不気味さをもって人間を拒絶し、比類なき山深さを誇示している。とりわけ豪雪を飲み込んだ黒部渓谷は巨人のノドの如く深々と抉れ、覗き込む者の足をすくませる。まさに北アルプスの心臓部である。  「厳冬期の黒部横断」という言葉の響きは、山好きであればなんだかソワソワしてしまうものだろう。だが冷静に考えてみると、深い雪に重い荷物、そして何日も洗わぬ身体は指の先までプンプン臭うとなれば実際に出かけるやつは変態しかいないというのも頷ける。今回黒部横断を共にした仲間である加々見さんは彫刻家というだけあってやはり変態なのだろう。もう1人などはごっくんという名前からしてもはや疑いようもない。かくいう僕はそんな彼らに唆されて冷静さを失ってしまった哀れな常識人にすぎない。 本当は僕らのリーダーである真の変態がいるのだが残念ながら参加できなくなってしまい、横断童貞の3人で挑むことになった。メニューは近年記録の見られない黒部別山の壁尾根をオードブルとして、メインディッシュの源次郎尾根から剱岳を目指すワクワクドキドキコースである。  クリスマスを目前にした12月23日、僕らは信濃大町駅の駐車場に集結した。 出発時に荷物を測ってみると、2人とも僕よりかなり重い。ごっくんに至っては5kgも重いではないか。重量が偏らないように綿密に装備を割り振ったはずだったが、これは後に彼らとの器量の差だったことが判明する。器の小さい僕は、少し持つよ、なんて言わない。 マイカーで日向山ゲートまで移動し、扇沢までの長い道路を歩く。扇沢から岩小屋沢岳の南に伸びる新越尾根の取り付きまでは単調な林道の水平ラッセルとなり、精神的にはここが今山行で1番きつかった。初日にして帰りたいと願ったが、尾根に乗り藪を漕ぐとにわかに楽しくなってくるのだから不思議だ。適当なところでテントを張り、入山祝いという謎の宴会が始まる。僕は特に出すものは無かったが、早くも合鴨肉やシュトーレンが出て...

大ヤスリ開拓記 (to be continued...)

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 通算して3日目、やっとここまで上がってきたが、残り数メートルが恐ろしく遠く思える。 全体重を支える唯一のスカイフックが軋んでる音が聞こえる。ランナウトには耐えそうもない最後のプロテクションは足元はるか下、カンテの向こう側へ消え、アブミに掛けた脚が無様にガクガクと震えてきた。寒さのせいか恐怖のせいか、もはやどっちでも同じことだ。1秒でも早くこの場所から逃げ出したい。 左を見ると初登のエイドルートに連打されたリングボルトが手の届くところにある。数十分なのか数十秒なのか分からないが悪態を吐きながら逡巡したのち、スリングでリングボルトにバックアップを取ってスカイフックでのローワーダウンを決めた。 ボルトに荷重しなければ、まぁいいんじゃないか。 頭の中にモヤがかかった感覚のまま、ゆっくりとロープを出してもらいビレイ点に戻ってきた。スカイフックは外れなかった。 吐き気のする緊張感から解放されて体の震えがおさまってくると次第に頭がクリアになり、唐突にバットで頭を殴られたような衝撃をもって自己嫌悪に襲われた。 自分がたった今やったことは、ここまで積み重ねてきた努力を水泡に帰す行為だった。目の前に巨大な鏡を突きつけられ、小便漏らして泣きべそかきながら逃げ帰ってきた自分を直視させられたのだ。 2023年の晩秋の瑞牆山。僕ら2人は思いつきで取り付いた大ヤスリのあるラインに夢中になっていた。強点の中のわずかなゆるみに希望を見つけ、拙いエイド技術を総動員して地面から少しずつ登り始めた。1日に数メートルという、文字通り蝸牛並みのスピードでジリジリと進むが、上まで辿り着けるのかはさっぱり分からなかった。それでも1日の終わりには身体はバキバキになり、得も言えないような充実感に満たされていた。 そして3日目、ピークまであと数メートルというところまで来て、リングボルトに手を出してしまった。 リングボルトだろうがフィックスロープだろうが、それにバックアップを取れば安心して戻れるというだけで一歩踏み出す負荷は信じられないくらい軽くなる。次のスカイフックに乗り込めばもう戻れるか分からないという恐怖に打ち勝ちながらここまで地道に登ってきたというのに...。自分の弱さから目を逸せないくらい、あまりにも分かりやすく見せつけられてしまった。 あそこでリングボルトを使わずに落ちると思うと確かに身の毛がよだつ...

the Tribe フリークライミングの純度

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 御茶ノ水の一画、これといって何の変哲もない通りの地下にぽっかりと空いた空間。階段を下っていくと、一種アトリエや博物館のような異世界的な時間が流れている。 この日はテルさんと大西さんのトークイベント。聴衆には普通だったら登壇する側でしょ、という著名なクライマーばかりで異様な緊張感があった。 テーマは「フリークライミングの純度」。 この面々を前にして急進的とも思える自分の考えをガンガン喋るテルさんに、やっぱ肝座ってるなぁというのが第一印象。 谷川でのフリーソロやハイリスクな山スキーは、クライミングとは何かを考えながらある意味実験として行っているようだ。そしてその固まっていない、いわば発展途上の思想をこういう場で惜しげもなく共有する姿勢が、強い信条を持つベテランの話を聞くのとはまた一味違って面白かった。イベントの後の歓談で、弱いところも未熟なところもちゃんと見せないとね、と言ってたけど中々できることじゃない気がする。 さて、本題のフリークライミングの純度という点について自分が理解した範囲で整理してみたい。 まず第一にここで言うフリークライミングとはスポートクライミングと対比されるもので、未知性や冒険性に重点を置くものとする。 道具や仲間など純粋なクライミング以外のものが介在することによってフリークライミングの純度は落ちるが、その不純物のラスボス的立ち位置に自己顕示欲がいる。SNSはもちろん、雑誌などのメディアや今回のトークイベントのように人前に出て自分のクライミングの話をすることで顕示欲はいつの間にか成長し、その欲は山を登る時にもねっとりと足元に纏わりついて純度を削っていく。要するに、自分のクライミングを誰かと共有することは完全なフリークライミングの観点からすると不純だよね、ってことだと思う。 フリークライミングをそういうものだとした上で、たとえ純度を落としてでもどんなクライミングをして何を思ったかを伝えることは大切なんじゃないか、とテルさんは言っていた。ジムから始める人がほとんどな現在のクライミング界を考えると、かの俗的な雑誌に寄稿して問いかけることも大事だし、自分が気づかなかった角度から思わぬ反応を生む可能性があるという意味でも必要なことなのだろう。 僕はといえばこの話を聞いて、岩と雪創刊号の巻末に書かれていた言葉を思い出した。 「登山とは登り、読み、かつ書...