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10月, 2024の投稿を表示しています

昼下がりの情事

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  10月23日、"Trainspotting"のすぐ左脇、顕著なコーナーのプロジェクトを完登することができた。ルート名は"Lunchtime Affair"、意味はお昼時の行為(情事)といったところ。去年のナナファテ勤務体制で土日祝の昼休みが3時間あり、その間にしこしこ掃除しに行っていたことになぞらえた。このルートに関してだけかもしれないが、開拓はなんとなく性的な関係に似ている気がした。  隣の"Trainspotting"と雰囲気は似ているが、とりわけ大きく違う点はボルトの存在だ。そもそも去年までの自分は、今後の人生で一度たりともラペルボルトを用いた開拓行為はしまい、と強く思っていた。それなのに今年の9月になって、突然ぽんっと「ボルトを打とう」という考えが頭に浮かんで、手打ちキットを買うやいなやすぐにぶら下がっていた。その決断は二年間の熟考の末だったとはいえ、ボルトを打ち込んでから登るまではその理由がいまひとつ分かっていなかった。しかし完登して数日経ち、ぼんやりと見えてきた輪郭を、不完全なままではあるが忘れてしまわないうちに描いてみようと思う。  考えやすいように整理してみると、ポイントは「ルートとしての完成度」、「心身の弱体化」、「承認欲求への抵抗」あたりか。  一つ目と二つ目は分かりやすい。まず「ルートとしての完成度」は、岩質の脆さと合理性のバランスのことだ。握り込んだり踏んだりする分には全く問題ないが、リムーバブルプロテクションでフォールした際には岩ごと吹き飛ぶリスクが、ほとんどどのプロテクションセットにも内在していた。そもそもセット自体がかなりトリッキーで、未来のクライマーにグランドアップで登ることはとてもお勧めできない代物だった。ランナウトの距離自体は"Train"の方が長いが、固めどりして突っ込めるのでメンタルの強い人ならビッグフォールの予感を楽しめると思う。それに比べて"Lunchtime"は、どこまでが安全でどこからがヤバいのかが判断できず、ほとんど賭けに近いクライミングになってしまう。いうなればフリーソロと大差ない。もちろん徹底的にムーブを固めて絶対的な自信をつければボルト無しで登れるが、それにどんな意味があるのか?  二つ目の「心身の弱体化」に...

ペルー遠征報告会を終えて

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 2024/9/28 ルーフロックでペルー遠征の報告会 参加費を取るということで誰も来てくれないんじゃないかという不安があったが、なんとか天候が保ってくれたこともあってか多くの人が聴きに来てくれた。 報告会が無事終わったことも安心したが、何よりルーフロックがクライマーを支え、クライミングを共有する場としての一歩を踏み出す、その手伝いができたことが何より嬉しい。 そして、報告会の準備をする段階で今一度キタラフでの登攀について考えた。そこには(やはりと言うべきか)、下山直後とは違う情景があった。大きなクライミングには、咀嚼し、消化し、血肉とするまでにはある程度の時間が必要なのだ。もちろん人によって必要な時間はそれぞれだろうが、僕にはそれなりの期間が要る。そして改めて見つめ直すと言う意味でも、アウトプットをする機会やそのプラットフォームは大切だ。当然そこでセルフプロモーションやビジネス的な行為に走るなど論外だ。 さて、キタラフについて、登攀からおよそ3ヶ月が経ってなにが見えてきたのか? 下山してすぐに書いたブログには満足感と楽しさが伺えるが、今振り返って見てみると、登攀中の光景や体験はどうにも「夢」だったように思えてならない。 これは日本の冬壁や黒部やパタゴニアを思い起こす時とも違う、妙な感覚だ。 次から次へと現れてきた奇妙な形をしたキノコ雪。彼らの役割は常に上に登ろうとするクライマーを困らせることにあったが、同時に必ず手の込んだ抜け道を用意していた。「不思議の国のアリス」に登場するイモムシのように、話は通じないがアドバイスをくれたりする。 キノコ雪は右に飛び出たり左に傾いたり、根元はブルーアイスのくせに上はシュガースノーで、気温や風や日差しの完全な調和の中で山にへばり付いている。尾根を行く僕らの視界は遮られ、気持ちよくアックスを打ち込んでいると思うと急に手応えがなくなり、スカスカの雪をかき分けて絶望的かと思えば下からカムの効く岩が現れたり、とにかく期待は片っ端から裏切られ続ける。そのうち心は期待することをやめて、山が差し出すものをひたすらに受け入れるようになっていく。 それはまさに夢の中で、訳の分からない状況に追い込まれているにも関わらず自然にそれを受け入れているあの感覚だった。 視覚的にも身体的にもカオスなクライミングの中に没入していた数日間。 日本で見たGo...